親鸞聖人からの手紙 A臨終の善し悪しを問わず―第十六通
 
               武蔵野大学名誉教授 山 崎(やまざき)  龍 明(りゆうみよう)
 
ナレーター:  「親鸞聖人からの手紙」その第二回、「臨終の善し悪しを問わず」、お話は武蔵野大学名誉教授の山崎龍明さんです。
 
山崎:  本日は、「親鸞聖人からの手紙」第二回でございます。ご一緒に学んでまいりましょう。最初に手紙についてであります。親鸞聖人の手紙を「消息(しようそく)」という言い方があります。「消息」と言いますのは、例えば〈あの人はどうしているだろうか、心配だ〉という時に、〈あ、その人はこういうところで無事にやっておらっしゃいますよ〉と聞くと、私たちは安心致します。ですからそこで心配が消えますね。そういう意味で「消(しよう)」。「息(そく)」というのは、「やすむ」という字ですから、気持ちがホッとして楽になります。そういう意味で手紙のことを中世なんかでは「消息」という言葉で表しているわけであります。私は今でもよく手紙を書きます。手紙を書くのが好きな方かも知れません。手紙を書いている時は、相手のことをあれこれ思い出していますから、なかなか楽しいものです。しかし当然お手紙には悲しい手紙もありますから、そうとばかりは言っていられません。今はメールなどが中心ですから、手紙族は後退していますが、私はこれからもズッと手紙を書き続けたいと思います。また仕事柄いろいろな相談があります。病気になられた方の相談。あるいは老いをかこって居場所のない方。余命を告知された方の相談。どれをとっても深刻な、そして難しいことばかりです。答えを与えるなどということはなかなかできませんが、手紙を読みながらその方々と共に考えるということはできます。さて京都で関東から送られてくる手紙に、親鸞聖人は懸命に筆を走らせたようです。関東の念仏者たちの身近な報告に、また、かつて共に語り合った同朋の顔を思い出し、微笑まれたことでしょう。文面からそのことが伺えます。しかし、その多くは関東念仏者たちの疑問と言いますか、教えに関するもの、取り分け教えの取り違えに対する厳しい手紙です。ここに取り上げる手紙は、私にとりましては特に感銘深いものです。大学に入学したものの、なかなか勉学に身が入らず、時間が過ぎていきました。その時、親鸞聖人のお手紙第十六通に出会ったのです。大袈裟に言えば、私の人生の方向を変えてくれた手紙と言ってもいいかも知れません。と言いますのは、仏教と言えば、お寺に人が集まって、念仏しながら終わりを待つものぐらいにしか、当時若かった私は考えていなかったのです。そんな時、私はこの手紙に出会ってビックリ致しました。これが聖人の説く念仏の教えなのか、すると私の考えているものと大分違うなという驚きです。全部わかったというようなことでは勿論ありませんが、興味が湧いてきたということは事実です。それから私の中では勉学に対する姿勢が少しずつ変わってきたように思うのです。そのお手紙を読んでみましょう。最初に原文を読ませて頂きます。
 
なによりの、去年(こぞ)・今年、老少(ろうしよう)男女(なんによ)おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死(しようじ)無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。
 
まあ原文ですからなかなかわかりにくいことがありますが、私はやはりこの辺りは原文で一度どうしても読みたいという思いがあります。現代語に移しますと、そう難しいことではありません。
 
何よりも去年から今年にかけて、老いたる者若い方男性女性を問わず、多くの人々が亡くなったことは本当に悲しいことです。けれども、命あるものは必ず死ぬという無常の道理は、既に釈尊が詳しくお説きになっているのですから、驚かれるようなことではありません。
 
こういう意味になります。このお手紙は、文応(ぶんおう)元年(一二六○年)でありますが、親鸞聖人の八十八歳の時のお手紙で、書いた日にちも記録のあるものでは、これが最後のお手紙と言われます。八十八歳であります。当時の平均寿命から考えますと、これは大変な高齢であると、まあこう言わなければなりませんけれども、この手紙には年齢を感じさせないみずみずしさがあります。この三年前の一二五七年には、関東には直下型の大地震が起こったという記録が見られます。マグニチュードが、七・○から七・五ぐらいであったということがわかっております。その後大変な冷害ですとか、飢饉が起こりまして、そして伝染病によりまして多数の死者を出したということが知られます。当時幕府や朝廷は有力な社寺―お寺に対しまして、護国の経典というのがありまして、それは国を護る経典というのが三つあります。それは一つは、『法華経』、もう一つは、『仁王般若経(にのうはんにやきよう)』、もう一つは『金光明最勝王経(こんこうみようさいしようおうきよう)』、こういう三つのお経を僧侶に唱えさせます。そして飢饉や疫病退散のために経典を読誦(どくじゆ)させたわけであります。ですから親鸞聖人が関東に居た頃、餓死する農民たちを前に、〈私に一体何ができるだろうか。一仏教者である私が何ができるか〉悩んで、経典を「浄土三部経(じようどさんぶきよう)」(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三つを指す)という経典を千回―これ一回読むのに四時間かかると言われますが―千回読もうと思い始められた。しかし〈いや、お経というのは本来そういうものではない〉ということに気付いて、四、五日してお止めになられた、ということを、親鸞聖人の奥様の恵信尼(えしんに)さまが手紙に書いておられます。しかし〈私に何ができるか。何をしなければならないのか〉という思いが、大変私は強かったんだろうとこう思います。現代でも天災地変の前で、私たち人間は為すすべを知りません。東日本大震災でもほんとに悲しいことでありました。人間の叡知を集めて対策を講じても、それ以上の力で自然は人間に襲いかかります。昔も今もそのことに変わりはありません。その解決をお経を読むというその利益(りやく)に当時は求めざるを得なかったのです。しかし事態は収まりませんでした。平安末期から鎌倉初期にかけての、およそ三世紀にわたるさまざまなことを記しました『百練抄(ひやくれんしよう)』という全十七巻の書物があります。それなどには、
 
近日、天下飢饉にして餓死するもの、その数を知らず。僧綱(そうごう)有官(うかん)の輩(やから)すら、その聞こえあり。
 
こう記されています。飢饉が続いて飢え死にする者が無数にありました。「僧綱有官」ですから、地位の高い人もそうでない人もまったく例外ではない。こういう記録であります。この親鸞聖人が手紙を書かれた一二六○年、この年に有名な日蓮上人(にちれんしようにん)の『立正安国論(りつしようあんこくろん)』という書物が著されました。日蓮上人が三十八歳の時であります。その冒頭には、
 
天変・地夭・飢饉・疫癘(えきれい)(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷(ちまた)に倒れ、骸骨路に充(み)てり。死を招くの輩既に大半を超え
 
こういう大変な状態であった。飢饉疫癘(えきれい)ですね、そして牛馬が巷―街に倒れ死んでしまう、骸骨路に充てりと、こう記したのは日蓮上人でありました。このような背景を考えると、当時関東の念仏者たちも、例外ではなかったようであります。特に常陸(ひたち)(現在の茨城県の北東部(筑西市・桜川市・下妻市・つくば市・筑波郡・龍ヶ崎市・稲敷郡より北の地域)に相当する)の多くの念仏者たちも餓死していったものと考えられます。手紙の末尾に「乗信御房(じようしんごぼう)」とありますから、乗信房(じようしんぼう)という方が親鸞聖人に出された手紙の返事がこの第十六通であります。当時ご承知のように、浄土仏教では、臨終に仏さまや如来のお迎えを頂き、そして目出度く浄土に生まれることがごく一般的でした。これを「臨終来迎思想(りんじゆうらいごうしそう)」と申します。平安時代の中期から鎌倉時代にかけまして、この臨終来迎思想が浄土仏教の中心でした。いわゆる「お迎え」の思想ですね。しかし親鸞聖人は、このような仏教理解をせず、臨終にお迎えを頂いて、浄土に生まれるのではなく、この世で阿弥陀仏の教えに出会って、より確かな信心を賜った時に、実はもうそこで救いが決まっているんだ。つまり臨終ではないとされました。これが親鸞聖人の仏法―親鸞浄土教の、私はもっとも大きな特質ではないか。言葉を換えて申しますなら、それは亡くなり方の善し悪しは救いには関係がないという、こういうものでした。これはですから、当時の浄土仏教にありましては、画期的なものであったと言わなくてはなりません。確かに「生老病死」これは誰も避けられないいのちの必然であると言ってもいいと思います。しかし、「おどろきおぼしめすべからず」とはっきり言い切る精神というのは、私は並の者ではないと思います。推測が許されるならば、この関東の乗信房という人が、関東でバタバタと倒れていく熱心な信仰者を目の当たりにした時に、一体念仏の利益(りやく)とは一体何なのか。この人々を救うことができないのかという、私は思いがあったのではないかと想像するわけであります。その答えの手紙がこの第十六通であります。この手紙のテーマは、私は三つあるというふうに考えております。その一つのテーマが、実に明確な「臨終の善悪をば申さず」。「善悪(ぜんあく)」と書いて、仏教では「ぜんなく」と読むんですけどね。要するに亡くなる時の善し悪しなんかは、救いには無関係だ、というわけであります。これは今申しましたように、当時の浄土仏教を根底からひっくり返すような親鸞聖人独自の念仏領解(りようげ)であったと言えると思います。救いを臨終から切り離して、「現生(げんしよう)」というんですが、「いま、ここで」ということですね。「いま、ここで、私が救われていく」これが仏法であるという形に移し替えた、そこに親鸞浄土教の特質をみるわけであります。一般に申しますと、どうでしょう、現代でも人間の死に対して、かなりの拘りを持っている人が多くいます。つまり「いい死に方」、あるいは「悪い死に方」と言ったようなものです。私たちの生き方が、それぞれ千差万別であるように、私は、「死」もまた千差万別だと思うんです。それぞれだと思うんです。私は死というものは、それぞれ縁によるものであって、「死に方」に善いも悪いもないとこう考えます。確かに苦痛―痛みの中での死は堪え難いものがあります。それを善い死とは言えないかも知れません。じゃ、逆にコロッと亡くなれば、それが果たして善い死に方だと言えるのかどうか。そのように「死」を、善いとか悪いと決めることに、私は無理があると思うんです。死はやはり死なのです。ですから善いも悪いもないものだと考えるんです。よく「大往生」というのは、コロリと死ぬことだ。コロリと死ぬことが大往生だとこう言われます。それでは、苦しんで亡くなった人は、果たして「小往生」―小さな往生なんだろうか。そんなことはまったくないんで、仏教での「往生」というのは、たった一つであるというのが、親鸞聖人の教えの根本であったと思います。この死に対する問題と言いますのは、私は仏法に生きるものの死に対する眼差しと言ってもいいと思います。親鸞聖人がこの手紙の中で、あくまで救いのためには、死の善し悪しなどは、まったく問題ではない、ということでした。つまり善い死に方をしなければ救われない、と言われたことに対する批判であり、否定であった、と考えられます。そのような関東の念仏者たちが、亡くなり方をするとは何と悲しいことか。念仏者の御利益とは何か、という疑問があったということを、今申しましたが、ある意味でのこれは当然の私は問いであったと思うのでありますが、その関東からの問いに対しまして、「臨終の善悪をば申さず」と言われたところに、私は、親鸞聖人の人となりと、信仰に対する信心に対する厳しさを考えます。二番目は、手紙はこの後次のように続きまして、
 
愚かで智慧のないわたしたちであっても尊い臨終を迎えるのです。あなたが人々におっしゃった、すべて阿弥陀仏のはたらきによって浄土に往生するということは、少しも間違っていません。長年の間、わたしがみなさんにいってきたことと、異なっていません。決して学者ぶった議論などなさらずに、浄土への往生を遂げてください。
 
こういうふうに、手紙にはあります。つまりどんなに愚かな私たちでも、無智な人でも、平等に尊い救いを遂げる、こういうことが表されております。それは私たち一人ひとりの能力によって、救いが決まるのではなくして、一切の生きとし生ける人々を、平等無差別になんとか救いたい。これが実は阿弥陀如来の願いであり、私は、阿弥陀仏の「根本意志」と言っているわけであります。取り分け賢ぶったり、学問沙汰をしてあれこれ議論することに終始してはなりません、と親鸞聖人は釘をさしています。信心に対して懐疑すること、あるいは議論すること、みな大切です。親鸞聖人はそれを否定したり排斥するのではありません。ただ大事なことは、議論のための議論であったり、自己を飾り立てるための学びであったりしてはならないということだと、私は考えます。私たちが真実なるものを求める―求道(ぐどう)する中で陥りやすい躓きの一つであると、こう言ってもよろしいかも知れません。そこでお手紙の重要なところに、「愚か者」と書く「愚者(ぐしや)になりてこそ」とこう書いてあるんですね。それは親鸞聖人が、法然上人に対する思い出として、このお手紙の中にこう書いてあるんです。
 
今は亡き法然上人が「浄土の教えを仰ぐ人は、わが身の愚かさに気づいて救われるのである」と仰せになっていたのを確かにお聞きしましたし、何もわからない無知な人々が来るのをご覧になっては、「あの人は間違いなく救われるだろう」とほほえまれていたのを拝見しました。
 
こういうふうに手紙には見られます。生涯の師、人生の師・法然上人を「よきひと」と仰いだ法然上人の生前の言葉を、このように感銘深く伝えています。私は、この「愚者になりて」愚か者になりてという言葉は、大変誤解されやすい言葉ですが、重要だと思っているんです。つまり愚か者になって往生するなどというと、なかなか分かり難い問題でありますが、何故愚か者になってなのか、という疑問もあると思います。この話を聞いてくださったある方が、こう言われたんです。「それでは先生、愚者にならなければ、つまり愚か者にならなければ救われないんですか?」という質問でありました。ひょっとしたら、その方は、自分を愚か者ではない、と考えていたのかも知れません。私はこの「愚者になりて」というのは、「本当の自分に還って」という意味に了解しています。つまり私たちは、わずかな教養ですとか、学歴であったり、社会的地位であったり、あるいはまた財産ですとか、あるいは係累であるとか、そういうものを得て、良しとしております。あるいは知識人であったり、教養人であると、自分がなかなか愚か者であるなどと考えたことがないのかも知れません。法然上人はそのことを実は問いかけているのではないでしょうか。完全無欠の人なんて誰もおりません。人間はみな多くの誤りを犯し、人を差別し、驕りの中を生きています。私たちは多くのものを身に纏うと、次第に傲慢になり、傲慢になると周囲が見えなくなります。つまり自分を見失います。その辺りのことを看破して、見抜いて「愚者になりて」と、法然上人は言われたんだと思います。つまり私の本当の姿、偽りのない自分に還って、初めて阿弥陀如来の教えが私のものとなる、ということだと考えられます。ですからこの「愚者になりて」という言葉は、現代を生きる私たちの中でも、謙虚に私は問いかけていく言葉の一つではないかという思いが大変強くあります。また西本願寺の前御門主の大谷光真(おおたにこうしん)師に『愚の力』という著述があります。その中で、師は、次のように記しています。
 
絶対者=阿弥陀如来の願いに出遇えにと愚者の自覚に至らないと言うことです。他者との比較において愚かであるとか賢いとかいう問題ではなく、自己一人の問題として、存在自体が問われるあり方であると言っているのです。
 
こういう解釈をしておられます。ここには阿弥陀如来との出遇いの、私の言葉で申しますと、「真実を悟られた、自覚した真実なるものとの出遇いによって自己の愚かさが初めてそこで明らかになってくる」こう申し上げてもいいかも知れません。このことに関して申しますと、例えば中国の浄土教大成者、善導(ぜんどう)大師という人の言葉に大変知られた言葉ですが、
 
経教(きようきよう)は鏡のごとし、しばしばたずぬれば智慧を開発(はいほつ)
 
お経ですとか仏教の教えというものは、鏡のようなもので、しばしばたずぬれば智慧を開発すとあります。つまりお経や教えはしばしば学んでいくと、私の中の仏から賜るところの智慧を身に付けることができますよ。知識とは違うんですね。ですからお経とか教えというのは、私自身を照らし、私自身の偽らない姿を映し出す鏡のようなものであると。ですから常に親しんでいると、自ずから智慧がこの身に具わってくる。こういう意味であります。先ほど申しました「愚者になりて」ということは、当時の関東念仏集団の中では、とにかく学者ぶって、そして高度な議論をして、そして如何にも偉そうに振る舞っている人が多くいた、ということが想像できます。ですからそういう人に対して、法然上人は、あの人の救いは大丈夫だろうかと顔が曇られたというのを、この後に親鸞聖人は書かれているわけであります。ここにはやはり信心に生きる人の尊さと、同時に私は、学問、知識に溺れる人の危うさが示されていると言えると思います。阿弥陀如来の教えに生きる人と、単に教えを学ぶ人の違い、と言っていいかも知れません。私は、教えに生きる人と教えを学んでいる人はたくさんおられますけど、教えに生きる、あるいは教えを生きようとしている方は、実はそれほど多くはないのではないかということを、自戒の念を込めて思うことがよくあります。さてその三番目の問題としましては、親鸞聖人は、お手紙の中に「うかれたまいたる人なり」とこう言っておられます。当時浄土仏教では、この世で仏像を造ったり、お寺を造ったり、あるいは善根功徳ですね、業績を積んで、そして臨終に仏さまや菩薩さまのお迎えを頂く。つまり善い死に方をすることによって、浄土に生まれて仏になる。こう言われていました。これは先ほど少し申しました、それに対して「臨終の善悪は申さず」と明言をされたわけですが、この言葉は、私は日本の仏教の歴史の中でも、過小に評価されてはならない大事な言葉であるという思いが大変強く致します。そしてその親鸞聖人の教えの中には、
 
真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎(らいこう)たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。
 
原文で失礼ですが、真の信心を得た方は、阿弥陀仏が必ず救ってやまないという教えに生きる方であるから、その信を得た人は、その場で既に救いが決定している人である。だから臨終の時まで待つ必要はありません。お迎えですね―来迎を頼りにする必要もありません。信心が定まるその時に、往生―救いもまた定まるのです。最後に来迎のための儀式を当てにする必要はありません。ですから臨終にお迎え頂くためには儀式をするんですね。さまざまな儀式をする。親鸞聖人は、そういう儀式はまったく必要ありませんよ、来迎のための儀式を当てにする必要じゃありませんと、こういう言葉が、私は大変大事な言葉ではなかろうかという思いが致します。いささか結論めきですが、この十六通のお手紙の中では、一つはどれほどの方が亡くなっても、それをさして驚くことではない。いのちを頂いたものの必然である。そしてどんな臨終であっても、往生にはまた無関係である。こういうことを親鸞聖人が手紙の中で述べておられます。それでは今日は親鸞聖人のお手紙十六通をご一緒に学んでまいりました。今日はここまでにさせて頂きます。
 
     これは、平成二十七年五月十日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである