なくした”いのち”とともに生きる
 
               グリーフサポート団体代表 尾 角(おかく)  光 美(てるみ)
               き き て        大 福  由 喜
 
ナレーター:  今回は、「なくしたいのち≠ニともに生きる」と題して、グリーフサポート団体リヴオン代表の尾角光美さんにお話を伺います。大切な人やものをなくした後、心や身体に生ずるさまざまな反応や感情のプロセスをグリーフと言います。尾角光美さんは、十九歳の時に母親を自殺で亡くし、生き方を見つめてきた自らの経験から、グリーフを抱えた人々を支えるために活動する団体を、二○○九年に立ち上げました。悲しみ、怒り、寂しさ、社会における生き辛さを感じながら、さまざまな人との出会いによって、尾角さんが見出してきた亡くしたものと繋がる生き方について伺います。聞き手は大福由喜ディレクターです。
 

 
大福:  ほんとに今いろいろな活動が広がっていると思うんですけれども、講演活動を二○○六年から始められたということなんですが、どのような思いで始められたんですか?
 
尾角:  初めは日本の中で自殺対策基本法ができて、全国に行政が旗を振って、遺族会を作っていこうという流れ、自殺予防を弘めていこうという流れの中で頼まれたので、〈よし、ちょっと手伝いをしてみよう〉ぐらいの気持ちだったんですね。でも講演を初めて聞いてくださった保健師さんが、地域で自殺したいという方と向き合っておられたみたいで、講演が終わった後に、涙いっぱいにしながら「ありがとうございました。勇気を貰いました」って話を聞いた時に、こういう思いを受け取って応え続けていきたいなと思いました。でもほんとに最初は別に話の仕事をしているわけでも勿論ないので、これでよいのだろうかとか、何の役に立つんだろうかという思いの方が大きかったような気がしますね。自分からこの話をしようではなくて、求められたことに応えるという形だったので、やはり自分自身がどういうふうに母親を亡くしたのか。また亡くした後に何が必要で、どういうことで支えやグリーフケアになっていくのかというところを丁寧にお話をしていきましたね。改めてこう振り返った時に、母が生きていくのが難しくなっていたプロセスを丁寧に自分でも見直すことができたんですね。日本社会の問題としての自殺ということと、私自身が経験した母の自殺ということが、点と点が繋がることがあって、それは日本って、「助けて!」って外に求めづらいんだということがわかったんです。それは死にたいと思う人にとってもそうですし、亡くした人の思いとしても、誰かに亡くして辛いということを言い辛い。そういう中で孤立、孤独になっていって、そのまま亡くならざるを得ないぐらいの状況が生まれているんだなということが、大きな気付きでしたね。自分の中でもやはりこう自分自身が母親を亡くして苦しい時に、「助けて!」ってということが凄く難しかったりとか、あとはどこかで早く乗り越えなくてはいけないというようなものというのは、あるのかなと、そんなふううに感じていました。でも自分自身の経験を丁寧に見ていって、人に伝えていく時に、自分の経験したことというのは、悲しみは消えないということ、悲しみや苦しみというのは、何度も何度も立ち現れてくるんですよね。そのことを否定せずに、そのままに大事にしていく課程こそが、自分自身のグリーフケアになっていったということが確認できました。社会の中で多くの遺族が早く乗り越えなきゃ、もう泣き止まなきゃと言って苦しんでいることを見た時に、あ、ヒントはここにあるなと、そんなふうに感じましたね。
 
大福:  悲しみからやっぱり目を反らしていると追い掛けてくるというか、なんかまたふとした時に湧き上がってきて、あ、やっぱりまだ心の中にいたんだということに気付かされるということってありますよね。
 
尾角:  よく「悲しみのスイッチ」とか、「グリーフスイッチ」と、私は呼び方をしているんですけど、例えば母親と思い出のハンカチ屋の前を通った時に、予期せずにスイッチがポツンと入って涙が溢れてくる。別れた恋人と思い出だった曲を不意に街中で聞いて涙が出てくる。それはとっても自然なことでおかしなことではない。でも乗り越えなきゃと思っている人にとっては、それはもう終わったことだから、こんな私おかしいんじゃないかしらとか、自分ってなんて情けないんだろうと、つい自分を否定してしまうんですよね。でも何度も何度も悲しみのスイッチに触れることというのは、あるのではないかなと思っています。
 
大福:  他にもたくさんグリーフ――喪失の痛み悲しみとか思いが溢れてくることってあると思うんですけれど、何かありましたか?
 
尾角:  とても印象的だったのは、母親が生きていた間に、やはりこう鬱とかで死にたい思いが強すぎて、子どもで自分たちに、暴力的な言葉であったり、実際暴力的な行為が及んだという経験をした子が出会ったんですね。そういう子たちと話をしていると、亡くなった後、寂しいとか悲しみだけでなくて、生きていた間の葛藤が凄い複雑に現れてきたりとか、そういう思いを抱えている子と出会った時に、ほんとに一緒に何かしてきたいと。特に親が鬱だった時のあの子どもたちに、自分のその時思い出して支えを届けていきたいね、みたいな話をしたこととか、とても印象的でしたね。
 
大福:  やっぱりその思いが響き合うというか、
 
尾角:  そうですね。私が印象的だったのは、私は母親を亡くした立場なんで、どうしても子どもを亡くされたお母さんに、話をするというのは、とても緊張するもので、わかり合えないところの筈だけれども、何か繋がるところがあって、共通していることがあるんだということは感じましたね。例えば何年経っても、悲しいとか、そういう悲しみがそのままに大切にしていく生き方を共存してくださったりなんかもしました。四歳で亡くすとか、誰を亡くすとか、亡くし方も、例えば自殺であったとしても、亡くす前、家族が仲が良かったのか、仲悪かったのかでも違いますし、亡くした後のサポートがどれぐらいあったかによっても、その感じ方って変わってくるものなので、たとい同じ自殺で親を亡くした十九歳の女の子というのが、二人いたとしても、同じようには感じない。亡くし方が違うからといって、わかり合えないわけでもないし、亡くし方が同じだからと言って、みんな同じように感じるわけでもない。いずれにせよ、一人ひとり違う感じ方をするものなので、その違いを感じ合うというところと、その中で「ここは同じだったね」というとこ、「ここが違うけど、ここは同じだね」というところを探し合う時間が、ほんとに立ち会いに繋がっていくのかなと思いますね。
 
大福:  初めてご自身の体験を誰かに話す前は、わかって貰えないんじゃないかとか、分かち合えないじゃないかという思いはありませんでしたか?
 
尾角:  ありましたね。例えば自殺で家族を亡くすと、遺族の方が自分を責める気持ちというのは持ちやすいんですが、私自身も母親を殺したと自分自身思っていたんです。そういう「自分が殺した」なんていうと、世の中の人、大人は特に「君は悪くないよ」とか、「お前のせいじゃないよ」というんですが、凄く違和感があったんですね。初めて自殺で親を亡くした子どもたちと、若者―同世代と一緒に分かち合った時に、「いやぁ、それある、ある」みたいな、絶対自分のせいだと思っている気持ちは否定されたくない。「お前のせいじゃないよ」と思いやりで言われても、何だか違和感があると。むしろ自分に罪があると引き受けていくからこそ、今の生き方を選んでいく。自殺予防に貢献したいとか、子どもたちにそのいのちをどう生きていくのかを伝えていきたいという生き方に繋がっていくので、その罪を否定されるということは、凄くちょっと辛かったんだというのを分かち合えてみんなで、なんか凄く良かったですね、それは。これはほんとに同じ経験をしているから共感し合える。そして今まで周りの大人の人たちに気を使っていたんだなって。「君、悪くないよ」と言われると、「ありがとうございます」と言われなければいけないみたいな。でもそれは善意だけれども、自分としては違和感があるというところを認められたのは、同じ経験した人たちと出会えたからかも知れません。世の中のイメージとかっていうものは、もの凄く大きな力を持っていると思って、例えば「親を亡くした子ども」といった瞬間に、「かわいそう」とくるんですよね。でも「可哀想な子」といった瞬間に、その子の力を奪うことになってしまう。私はむしろ親を亡くした子どもだからこそ、持っている力とか、例えば震災を経験したから防災の仕事に就きたい。自殺で親を亡くしたから、私は医療の現場で自殺予防に関わりたい。そういった一人ひとりの実は持っている願いとか、生きていく力とかを、ほんとに引き出すことをしていくことが必要なのに、「あぁ、可哀想ね」といって、その子から力を奪っていくようなことっていうのは、よくあるのではないかなと思っています。神戸の震災遺児の女の子で、二十年間で一番辛かったことは、「可哀想な子」って思われることだった。それは私が特別な存在だと見られるというのが辛いという話をしていて、まさしくそうだなと。別に親が自殺で亡くさなくても、人は悲しみを持つし、震災を経験しなくても、人はいつか失うという苦しみを経験するという意味においては、ほんとに「あなたの悲しみも辛いでしょう。でも私自身もそれを経験していく身なんですね」ということを共有していくというか、なかなか共有し難いけれども、あまりにも違う人間ではないと思うんです。そこをちゃんと共有していければいいのかななんて思いますね。
 
大福:  ご本の中では、「分かち合い」というのを書いていらっしゃるんですけれど、どんなことを分かち合っていきたいというふうに思っていらっしゃいますか?
 
尾角:  最終的には、結論から言えば、「希望」を分かち合っていきたいんです。希望を分かち合うためには、痛みとか、苦しみとか、悲しみとか、心の底のドロドロのものを出して分かち合うというところが、また大前提なのかなと思っていて、やっぱりその悲しみとか、苦しみをちゃんと分かち合えた時に、そこからちょっと小さな小さな光が、どす黒い闇の中から一筋の光が見えてくるような場面というのを分かち合いの中で、私自身も経験してきましたね、今まで。
 
大福:  例えばその分かち合いの場でのファシリテーター(facilitator:会議やミーティングなど複数の人が集う場において、議事進行を務める人のこと。中立な立場を守り、参加者の心の動きや状況を見ながら、プログラムを進行していく人。段取り・進行・プログラムを鑑みながら、問題の解決や合意の形成に導く役割をする人)として、みなさんを誘っていく時、どういうふうに誘っていくんですか?
 
尾角:  ファシリテーターとしては、分かち合いを作る上で、グランドルール(会議、ミーティング、自助グループなどを行う際に設定することがあるルール。会議をスムーズに進行するため、ファシリテーターが会議前に設定する場合や、ある程度、大枠を決め、参加者の案も混ぜて、共に作っていく場合もある)を共有するんですね。グランドルールというのは、前提となるみなさんとのお約束。その中で如何に安心感を調えるというか、安心感を抱けるような場を、みなさんと約束していくしかないんです。例えば人の経験と自分の経験を比べないとか、例えば自分の経験も人の経験も解釈をしない。よく「親を亡くした」と言ったら、「可哀想」というのも、その人の主観ですし、でもその親を亡くしたことをどう感じるかは、その経験した本人が決めることであって、周りが解釈を挟むべきものではないと思うんですね。なので、その本人の物語は本人の物語として、そのまま大切に扱うということをお約束します。そして外には出さないということ、持ち帰らず、心に、胸に留めておくという感覚ですかね。守秘というものは凄く大事で、外に出さないという思いの中で話せることってたくさんあるので、そういったお約束をみなさんと最初に行います。言ったらすぐその場で否定されたりとか、例えば「頑張れ」とか、「乗り越えなきゃね」という言葉が返ってくるような気がして、外に出せないのではないかなと思うんです。自分の感じたことを、感じたままに認めて貰えるような場というのは、日常生活になかなかなくて、本当だったらやはりそれが日常にあれば、わざわざ特別な会に行かなくてもいいのかも知れないんですが、如何せん死別を経験した人にどういうふうに向き合ったらいいのかなんていうことは、僧侶でさえ、お坊さんでさえ学んだことがないので、そういうことは当たり前の正直に弘めていくような必要があるのかも知れないんですね。
 
大福:  特にいのちについてなかなか語りにくい、
 
尾角:  そうですね。「いのち」というと、「いのちを大切にしましょう」と言いますよね。よく中学校から大学生までいのちの授業に行くんですが、「いのち≠ニ言ったら、いのちを大切にする話しか聞いてこなかったと。でもいのちを大切にできないぐらい辛い時、どうしたらいいのかとか、自分のいのちの守り方を教わることはなかった」と、子どもは言います。義務教育という文脈の中で、自分が生きづらくなった時に、自分のいのちの助け方を守ることが一番大事なことなのではないか、と今伝えていますね。春と秋に交通安全運動がありますよね。では若者の死因の第一は、自殺であって、交通事故よりも自殺で亡くなる可能性の方がずっと高いわけです。じゃ自分が死にそうに辛い時の助け方を、どこかで学ばなければ、この国はたくさんの若い希望のいのちたちを失っていかなければならなくなりますよね。そこら辺は凄く最近ひしひしと感じて力を入れて取り組んでいます。
 
大福:  今力を入れていらっしゃる活動の中でも、お坊さん―仏教者の方とお話会というか、そういうのが増えているそうですね。
 
尾角:  そうですね。研修、講演の数でいうと、自治体を上回って、とうとう宗教団体というか、仏教の伝道教団が一番多くなりましたね。不思議なご縁だなとは思うんですが、でも同時に必然だなとも思っていて、そもそも死を大事にするところはどこかと言ったら、お寺ですし、亡くした人のことを共有できる一番の伴奏者というか、相手というのは、僧侶であったと思うんですね。なので、そこはもともとあった日本のグリーフケア―死別のケアはそこにあったので、必然と言えば必然。でも何故それが今改めて僧侶が学ばなければいけないのかということは、一つ考えなければいけないことではないかと思います。
 
大福:  もともとご自身の思いとして、お坊さんの存在というのは、どういうものに?
 
尾角:  見えない存在ですかね。ほんとに見えない。居ないという感覚が強かったです。母は火葬だけだったというのもありますし、例えば母親が死にたかった時に、駆け込み寺のように、お寺に助けを求めたかと言えば、勿論お寺には助けを求めていませんし、ただ信心深い家庭ではあったので、祖母が、私が小学校上がるぐらい前に亡くなったんですが、「毎日般若心経お唱えしなさい」と言われて、毎日般若心経を六歳から読んでいるんです。記憶には完全に残っていて、すらすら暗記しているんですけども、じゃそれは僧侶から教わったかと言えば、全然違うんですね。生活の中で自分で身に付けていった、家族の中で育んでいったものであって、遠い存在ですよね。
 
大福:  その後に、何か印象を変えてくれるような、そういう方との出会いというのはございましたか?
 
尾角:  山のようにあって、どこから話をすればぐらいなんですが、一番印象的だったのは、石川県の浄土真宗大谷派の研修会に行った時に、あるお坊さんが講演会を終わった時に、研修を終わった後に飛んできて「ずっと僕がやりたかったのはこれでした!」って。「大事な人を亡くした人を、お寺を中心として地域で支えていきたい。一緒にどうか連続の講座を作りましょう」と言って、実際に石川県で五回の連続講座をお坊さんや坊守(ぼうもり)さんと一緒に作り上げて、そしてそこが今も活動を続けて三年か四年ぐらい経つんですけども育っていっているんですね。地元の医療者も関わるようになったりなど広がっていっていて、その出会いは凄く強烈でした。思いを共に、そしてその思いを形にして地域に支えを作っていくという、その最初の一歩が石川県の小松市のお寺さんとのことでしたね。
 
大福:  その駆け寄ってくるぐらいの何か活動というか、なんかそういうものは感じましたか?
 
尾角:  感じましたね。求めて求めてやまなかったけれども、どうしていいかわからなかった。そういうお坊さんには何人も会いましたね。何か力になりたいと思っている、ご遺族であったり、大事な人を亡くして苦しんでいる方に、力になりたいんだけども、どう関わってよいのかわからないとか、どんなふうに場を作ったらいいのかわからない。そういった苦しみみたいなものを垣間見ることがよくあります。
 
大福:  実際にプログラムというか、それを作っていく中で、尾角さんはどういうふうにその方々のまだわからない部分を、こうわかるように変えていくような、
 
尾角:  けっこう大事なのは、「わからない」ということを、「わかる」ということが大切で、今やっている、行っている僧侶のためのグリーフケアの連続講座では、ロールプレー(ロール・プレイング(role playing)の日本語の略称;「役割演技」文字通り自分とは違う(同じ場合もあるが)立場の人物になりきり、あるテーマについて、役割上の立場に立って考え、議論する(問題解決を図る)ことをいう)を行うんです。お坊さん役とご遺族役と観察者という役で、三人一組になるんですね。例えばある事例でいうと、お母さん役でご遺族は、お子さんを亡くして、まだ間もなくて辛い。「あの子はどこに行ったんですか?」とか、そういう問いをお坊さんに投げていくようなロールプレーをするわけです。そうやってお坊さんが答えていく時に、「あなたの気持ち、よく分かります」とか、言ってしまうんですね。そうすると遺族役をやった僧侶は、振り返りの時に「わかります」と言われたくないって。「わからないでしょう、あなたには」という気持ちが湧いてきましたと。「お坊さんは、みんな遺族役をやったらいいですね」なんて、そのお坊さんが言っていましたが、そういうふうに遺族の気持ちを、僕はもうわかっているんだみたいな気持ちにならない。わからないけれども、分からせて頂きたいとか、少しでも気持ちを分かち合いたいです、というようなあり方を調えるようなことが、そのロールプレーの学びの中にあります。なので、お坊さんはつい何か言わなきゃとか、何か答えを出さなきゃと思って、ご遺族と向き合うんですが、実は答えを出すのはご遺族であって、そして答えを出すことが大事とも限らない。その答えを詮索していく、息子はどこにいったんだろう。苦しい苦しいって、その苦しみを聞き届けていく。見てこう立ち会っていくような、僧侶の役割というものを、講座の中でお坊さんたちに勉強して頂いています。
 
大福:  そうすることで、そのお坊さんも「わからないということをわかる」ということとか、わからない自分を許して、ちゃんとご遺族の方と向き合える許しとか。
 
尾角:  けっこう「許し」って、一番大事なキーワードですね。自分自身がやっぱり許せないんでしょうね。凄くこう何でこんなんだろうとか、なんで自分は役に立てないんだろうとか、いっぱいこういうよき自分でありたいという思いがあるがために、自分を苦しめる部分があるので、先ずはわからないけど、それでも一緒に居ます、というところからスタートできる自信を持つのかなと思います。
 
大福:  ご本の中にも、「眼差しの温度」というか、「眼の温度」というか書いていらっしゃいましたけど、やっぱりそういうものに現れてくるものですか? その言葉以外というか。
 
尾角:  「聴く力」ということが、もの凄く今大事な時だと思うんですが、「聴く」という字は、「耳」偏に「+」と書いて「目」を書いて「心」と書きますよね。「耳」足す「目」足す「心」が「傾聴」の「聴」の字だと思うんですが、まさに耳で聞くのではなくて、全身で聴くんだと思うんです。腕を組んでいれば、どういうメッセージを発信しているのか。時計を見ながら話を聞いたら、どういうメッセージを発信しているのか。実際「聴く」というのは、メッセージになっているんだということを、もう一度気付いて頂いて、そして「あなたを大切に思っています」というのは、言葉以上に目で伝わったりとか、その人の物腰に伝わっていくものなので、言葉を使わなきゃ使わなきゃと思って余計なことを言ってしまうのではなくて、ほんとに大切に聴くことによって、相手を大事に受け止めていくという。「受け止めていく」ってちょっと難しいですけども、相手と共にある。相手と共に大切にそこに一緒にいる、という実感を過ごせるように、そういう聞き方についてお伝えをしたり、共に学び合っています。
 
大福:  思いをほんとに聞いてくださる方との出会いというのはありましたか?
 
尾角:  お坊さんで、ありましたね。どうしようもない悩みを、苦しくて苦しくてしょうがないことをお話しに行ったことがありますね。京都のあるお寺に行って、お仕事の繋がりで出会ったお坊さんで、凄くほんとに大事に話を聞いてくださって、絶対に否定をしないんですね。どんな感じ方をしていたとしても、こんなふうに思っちゃいけないんじゃないかしら、と思うようなことを話したとしても、そこを否定しない。かと言って、過剰に肯定もしない。そういうほんとに「中道」という言葉がまさにぴったりだと思うんですけども、ただただそのままに聞いてくださって、そして一つヒントや手掛かりを差し出してる、そういうことがありました。「私を思って言ってくださっている、今ここで」という感覚がありましたね。たとい同じ言葉を言ったとしても、響き方ってその人が思っているか思っていないかで変わってくると思うんです。私は、兄も亡くしているんですけども、兄を亡くした時に、友人だった僧侶が、「いや、お兄さんは浄土に行っているから」と言ったんですね。「行っていないと思う」と、私は。「なんか行っている気がしないし、兄は苦しんでいる気がする」という話をずっとしていて、もう一回ぐらい言ったんですね。兄は浄土に行って苦しんでいないと。まだ信じられないという感じでこう対話をしていて、三回目、私の兄を火葬場に連れて行って、火葬場から戻って来て、その友人のお寺でお経をあげて貰った後に、法話をしてくれて、「もう届かないかもしれない。でも僕は光美さんのお兄さんが、絶対に浄土に行って、今、かつて苦しんでいたような苦しみに生きてはいないと思うと。僕はそういうふうに信じている」ということを話してくださったんです。私はその時やっと何か絵が浮かんで、〈あ、居る〉と思ったんですね。〈極楽浄土というところに、どうやら行っているみたいだ〉と浮かんだんです、兄の安らいでいる姿が。それは私にとって凄い経験で、やはりそれまで全然どこに行ったのかという具体的なイメージがなかった中で、ほんとにこのお坊さんは、私を思って言ってくれているな、と。そう感じた瞬間に見えた世界があって、それには凄く感謝をしました。だから「極楽浄土に行っています」という言葉はシンプルですけど、ほんとにその人が言っていると思っているか、そして目の前の人に思いを向けて、大事に思ってそのことを伝えるかどうか。それが一番要だったのかなと、そのように思い返しますね。
 
大福:  同じ「お浄土に」という言葉でも、最後に法話してくださった時の言葉は贈り物というか、心からのギフトというか。
 
尾角:  そうですね。
 
大福:  尾角さんがなさっていることも、思ったことをオープンに語れる、なんかそういうものを作っていきたい。そういう関係性を作っていきたいという。ほんとに苦しみを抱えた人への贈り物のような活動だなというふうに感じているんですけれど。
 
尾角:  そうですね。贈り物でありたいと思いますし、「贈り物」って、「ギフト(gift)」と英語では言いますが、英語の「ギフト」の意味の中に「毒」という意味があると聞いたことがあって、「毒」というと苦々しいものだったりもしますが、例えば亡くなったお母さんに「寂しいよ、悲しいよ、悔しいよ」って、母の日に伝えることもギフトだと思うんです。母の日は「ありがとう」だとイメージがありますが、実はそういう痛みとか悲しみとかをちゃんと伝えることも、受け取った側はこんなに私を思ってくれているんだと感じるかも知れない。「寂しい」という言葉は、世の中的にはネガティブかも知れないけれども、実はその寂しいという思いの奥にあるものはもの凄く温かい贈り物なんだと思うんですね。
 
大福:  そういうことが贈りあえる、そういう世界になっていったらいいですね。
 
尾角:  そうですね。
 
大福:  最後に伺いたいんですが、これからどのように活動を続けていきたいというふうに思っていらっしゃいますか?
 
尾角:  私は早くに、身内を、家族を亡くしていますが、これからまだまだたくさん大事な人を亡くしていくんだなということに最近気が付いて、というのも、活動で出会ったお坊さんが五十代にして、この間亡くなられたんです。私、ほんとに辛くて午前中ずっとその知らせ聞いて泣いていて、そういうのって何度もこれからやってくるんだなと思って時に、常に私の不断行っている活動というのは、自分自身を支えるものであり、悲しみというものが消えない、無くならないという中を、どうこの悲しみを大事に抱いて生きていくのかというのは、私自身が試されているんだなと改めて感じました。どんなに家族を亡くした、身内を亡くしていても、また大事な人を亡くすることの悲しみは辛いので、そこをどうやって生きていくのかなというのは、私自身も不思議な感じで見ていますね。これから先は必ずいのち―生と死、丸ごと大事にできる社会を作っていきたいということには変わりはないんですが、もっとやはり学べる場、それは専門的に学べるという意味だけではなくて、大事な人を亡くした時に、〈あ、あそこに行ったら自分の悲しみとの向き合い方が学べるんだ〉とか、それこそお坊さんが、ご遺族に向き合っていくために必要なことを学べる時間、それがバラバラではなくて、それぞれの立場が出会っていくような学びの場を作っていきたいなと思います。私自身が大事に伝えるのは、死が終わりではないということで、死は勿論一旦終わりであり、引き離すような感じ方を得るものではあるんですが、そこから生まれてくるものとか、そこから始まっていくものをやはり分かち合っていけるような時間を持つことが大事なのかな。直接遺族と出会っていく場が、お坊さんや葬儀屋さんや医療者にも必要ですし、そして遺族もそういう対話の中で自分の死というものや、自分のこれから生きていく生というものを見つめていける気がするんですね。で、多様な立場人たちが共にいのち丸ごと学び合うことができるような場を作り、そしてその場からほんとに心が癒えてくるような時間が生まれたらなと願っています。
 
大福:  今日はほんとに大切なお話を有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年六月七日に、NHKラジオ第二の
     「宗教の時間」で放送されたものである