綿向山(1110m)登山
                 2006/2/15

山歩きの会の「綿向山」登山である。

天理駅をバスで7時に出発する。
天気予報は曇りから雨になる予想である。
「なんとか雨だけは降らないでほしいね」という朝の挨拶を交わしながら・・・

西明寺の登山入口に9.12分着。

薄日も差し込んでいるので、
すぐには雨になるような気配はない。
ホッとする。




支度をして、9.25分スタートする。畑などには雪がうっすら残っている。
  
4分ほど歩いて御幸橋を渡ったところに駐車場がある。
ここで準備体操をしてからの出発である。
左手に見える山が竜王山とのことだ。歩く正面に綿向山がみられる。
 

西明寺川沿いに歩いて行くと、
夫婦松」と書かれた標識がある。標識には、
水木野の風と清流が縁結びクロマツとアカマツの妙なる陰陽の世界」とある。

さらに進むと、「天然記念物 綿向山麓の接触変質地帯」と書かれた説明板が立てられている。ここには次のように書かれている。

綿向山西麓の登山口である水木野谷のこの付近の岩石は、接触変質岩の地帯である。数億年前の古生代に形成された秩父古生層中の石灰岩が、噴出した花崗岩と接触し、その地熱の影響によって極めて著しい変質作用を受け、いわゆる変質岩となった地域である。石灰岩のほとんどすべてが大理石に変化し、その中に珪灰岩、ベスーブ岩、ヘンデンベルグ輝岩、柘榴石などのいわゆる接触鉱物が混じってみられる。大理石の暑さは少なくとも十メートル以上である。接触変質岩の河川に面した部分は、夢図による浸食作用を受けて、著しい凸凹が生じ、石灰岩系独特の形状を造っている。なお、その接触作用を受けた時に、岩層に断層が生じたらしく、東南方向に当たる熊野谷の一部、更に野洲川水系の白倉谷の一部にも同類の岩石が分布している。   平成五年三月 滋賀県教育委員会


道の真ん中は凍ってツルツル滑って危険で歩けない。端の方を慎重に。
9.54分小屋に着く。標識には、「表参道登山口 ここは標高460m 頂上まで4300m」と書かれている。  

しばらく休憩をとり、
ここでアイゼンを付ける。





 10.21分 一合目に着く。標識には、「一合目 ここは標高 545m 頂上まで3720m」とある。歩く目安になるので良いな、と思う。
10.34分 「二合目 ここは標高 640m 頂上まで3150m」

登る時、「この合目って、どうやって決めているの?」って話題になっていた。
「標高を10等分しているだけじゃないの」と思っていたが、
上り終わって、ちょっと調べてみると、一合当たりが標高差約60mぐらいに設定されているが、必ずしもキチッと等分されてはいないことがわかる。

 10.45分 「三合目 ここは標高 700m 頂上まで2740m」。
もう少し先に小屋があるというのだが、此処が陽当たりがよいので、ここで10分ほど休憩をとる。









11.04分 「四合目 ここは標高 760m 頂上まで2310m」

屋根がカラフルな立派な小屋が見えてきた。
ここが五合目である。11.17分である。
「五合目 ここは標高830m 頂上まで1870m」

ここで休憩する。
かなりの雪が残っている。

 


小屋の入り口に「
夢咲の鐘」と書かれた鐘が吊されている。
誰か二人ほど鐘を鳴らしている。

「五合目小屋と夢咲の鐘」と書かれた表示板がある。ここには、

五合目小屋の前身は、綿向生産組合の作業小屋として建てられていましたが、そこに表参道コースとして登山道が通っていたことから、昭和53年に、日野町西大路の青年会「西大路ユースクラブ」が若い力を結集し、山小屋として改築しました。
その小屋も、永年の風雪によって老朽化が激しく、このまま看過することは出来ないと、平成16年に綿向山を愛する会が、会員によるボランティアで改修することにしました。
改修するに当たっては、安全登山への祈りと、ふるさとの綿向山を愛し、守っていこうと山小屋の建設に賭けた若者たち
の夢を、さらに次の世代へと咲き継いでいただくことを希って「夢咲(ゆめさき)の鐘」と名付けた鐘を、五合目小屋に取り付けることにしました。
「夢咲の鐘」という名は、綿向山を訪れる人たちの、さまざまな山への想いや、それぞれの夢が、鐘の響きに乗せて、咲き叶えられたらどんなに素晴らしいだろうという思いも込められています。
           平成16年10月11日 綿向山を愛する会


小屋の「若い力」と書かれた下には、
日本初日付高度の山 11月10日 「綿向山の日」」と書かれている。
綿向山の標高が 1110mに因んで、日付 11月10日としたものだ。

11.36分 「六合目 ここは標高890m 頂上まで1460m」
11.45分 行者コバに到着。標識には次のように書かれている。
ここは綿向山七合目であり、古くより行者コバと呼ばれ行者堂がまつられている。明治期に現在の登山道が開かれるまでは、この尾根の北の谷であるタカオチ谷を登ってこの行者コバへ取りついた。中世の昔の綿向山は聖なる霊山であり、多くの山伏が修行のために入山をし、この尾根へ登って服装などを整える儀礼を行った場所であるところからこの名が生まれた。なお、この付近はブナの原生林で植生上貴重な存在でもある。
             日野観光協会・西大路公民館


  

祠の左には「役の行者」、右に「不動明王」が安置されている。「沿革」として次のように記されている。
嶽山の名称と共に綿向山霊峰、神の山として古来より信仰の源とされ、先人修験者の道場としてされて来た。ここ七合目の山伏小屋の名称を止める地に戦後間もなく日野町に於ける信仰深き有志に依り行者尊を安置された後、約二十年前に修復整備がなされ、以来、今日に至る。
この度、全日野町に於ける信仰に心厚き有志に依り再建整備を計画し、広く町内各位の尊い浄財を得て、既設の整備と新たに露坐の「役の行者」「不動明王」を安置し、爾後の日野町の発展と住民の無事息災を記念するものである。
            平成六年十一月二十七日     日野綿向行者尊再建委員会


 11.50分 「七合目 ここは標高930m 頂上まで1160m」

「冬期ルート」の標識がかかっている。冬場は尾根を真っ直ぐに進むことになる。従って、ルートをはずれてしますので、「八合目」「九合目」の標識は見られなかった。










12.20分 竜王山と雨乞岳への分岐点に到着する。

竜王山方面の眺めれば、ひときわ真っ白で、かなり雪が多そうである。







12.22分 綿向山山頂に到着。雪はさほど多くはない。ここで昼食する。
  
雨乞岳が目の前に見られる。この写真には写っていないが、雨乞岳の右手奥に尖った鎌が岳が見られたのだが・・・

食後には内炭さんが、斜面を尻当てカバー(なんと呼ぶのかわからないが)を取り出し、滑り始める。
楽しそうに歓声をあげている。女性数名代わる代わる滑って、喜びの声をあげている。
子どもの頃、シャベルで尻を載せて滑って遊んだことを思い出す。
 
12.51分 記念写真を撮って下山開始である。


13.27分 五合目に下り、内炭さんの斜面の道を歩く時の、歩き方の講義である。

斜面の道を歩く場合は、山側の足は進行方向にまっすぐ向け、谷側の足が少し谷側に開くようにしてあるくこと。
体重は山側に 6, 谷川に 4 の割合とする


今日の講義もこれで終わり、あとは、すたこら、すたこら、下るだけである。

14.42分 バスに到着した。
バスに着く少し前から雨が降り始めてきた。
まあまあの天気に恵まれて、今日の山歩きも終わりである。お疲れさ〜ん!!

                  ― おわり ―