夜叉ケ池山(1206m)
                2009/7/15

山歩きの会の「夜叉ケ池山」登山である。
7時に近鉄高の原をバスで出発する。

今日もらった案内書には、
「夜叉ケ池の夜叉姫伝説は、大正2(1913)年に書かれた泉鏡花の戯曲で一躍有名になり、映画にもなった」と書かれている。
もう少し詳しくしりたいと思って、調べてみると、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に次のように書かれている。

817年弘仁8年)、この年の美濃国平野庄(現岐阜県安八郡神戸町)は大かんばつに見舞われ、あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、ため息まじりで、「もしそなたが雨を降らせるのなら、私の大切な娘を与えよう。」と語った。

するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。

翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(=龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。」と答えた。驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。」と答えた。

こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、若者(=龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。

数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。

安次は龍となった娘を祀る為に、池のほとりと自宅に、龍神を祀る祠を建てた。

この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

10.15分 登山口に到着。車が一台だけ駐車している。人影は我々以外には誰もいない。
樹齢400年という大きなカツラの木がある。
  
駐車場には「幽玄伝説 夜叉ケ池」と書かれた石碑がある。
永平寺76世 慧玉の揮毫されたものである。
「人は目を誘ふ 水は人の心を引く 君も夜叉ケ池を見に来たと云ふ」という泉鏡花の「夜叉ケ池」の一節が一緒に彫られている。
鳥居も立てられているが、近くに社殿などは見あたらない。「夜叉龍神社」の額が掲げられている。夜叉ケ池への参拝の鳥居のようである。
   
今日のコースは次の通りである。

10.33分 準備体操を終えて、出発する。鳥居をくぐり、谷添えに進む。
 
あじさいの花は咲いている。
  
10.57分 夜叉ケ滝が見られる。
 

  
11.03分 トチの木の大木に到着。2本ある。樹齢300年と書かれている。休憩。
 
あじさいの花がたくさん見られる。
  
12.22分 今まで樹林帯をずっと歩いてきて、ここに来てはじめて遠くの山並みがみられる。
 
12.25分 夜叉ケ池に到着。お堂が安置されている。
 
池の畔で昼食する。昼食を始めるとにわかに雨は降り出してくる。雨具を付けての昼食となる。
それほど激しい降りではないのでなんとか昼食をすますことができた。
今まで雨も降りそうな天候ではなかったのに・・・夜叉姫が雨で我々をお迎えしてくれたようである。



この夜叉ケ池には、この池にしか生息しない希少生物ヤシャゲンゴロウがいるという。
絶滅の危機にさらされているので、パトロール員が保護に努めているという。
福井森林管理局のホームページからヤシャゲンゴロウの写真を借用してお見せしましょう。
体長15mmぐらいというから、小さいものだ。


12.50分 昼食を終えて、夜叉ケ池山頂に向かう。岩の尾根を登る。急なので要注意である。
上の方は背丈に近い笹藪の道である。斜面にはニッコウキスゲが咲いている。
  
13.09分 夜叉ケ池山頂に着く。標高1206mという。
ガスがかかり展望はまったくない。残念!!!
記念写真だけ撮って、すぐに下山する。


  
13.36分 再び夜叉ケ池に戻り、記念写真を撮り、下山する。




 
15.12分 バス駐車場に着く。

着替えをして、出発。
お疲れさ〜ん!

       ― おわり ―