鷲峰山(じゅうぶさん:682m)
                   2011/10/19


「山歩きの会」の「鷲峰山」の登山である
近鉄高の原駅前を9.10分にバスで出発する


9.54分 維中前バス停に到着。
準備体操の後、10.02分 スタート。

 
今日のコースは次の通りである。湯屋谷(ゆやたに)がゴールである。

道端に祀られているお地蔵さん?かな、菩薩さんのお顔には白く化粧されているのが面白く思う。
この辺のものはみな白く化粧が施されている
遠くに茶畑山が見える。有名な宇治茶の産地だからね。

 
10.32分 「大道寺(だいどうじ)」に到着。案内板には次のような内容が書かれている。
「大道寺」は、756年に湯原王(施基皇子の子)の発願で、越智泰澄(おちのたいちょう)が開基したといい、大伽藍も配置されていたのが衰退していたのを嘉承元(1106)年に藤原忠実の帰依により再興されたという。その後織田信長に寺領没収され、滅亡に近い寺院になったという。
昭和28年の南山城水害では裏山の土砂崩れで堂舎が壊滅したという。

「大道寺」の横の道を挟んで向かい側には町指定史跡「信西入道塚」がある
説明板には

「信西入道塚」(しんぜいにゅうどうづか)
藤原信西(通憲)は平治元年(1159)、源義朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害される。大道寺の領民はこの場所に塚を築いてその菩提を弔ったと言われている。

「大道寺」の横に「大道神社」がある。かなりの石段の上に建てられている。
  
社殿の両脇に狛犬があるが、木造で造られているという。可哀想なことに盗難防止のために鉄の檻の中に閉じ込められている。
  

  
11.44分 自転車に乗って山から下りて来た若者とすれ違う
 
11.46分 「あずまや」に着く。トイレの設備もあり、広い広場で昼食。
  


12.22分 出立し、鷲峰山に向かう。
12.47分 「金胎寺(きんたいじ)」の山門に到着する

 




坊舎の横に、かわらけ投げ(かわらけなげ、土器投げ、瓦投げ)は、厄よけなどの願いを掛けて、高い 場所から素焼きや日干しの土器の酒杯や皿を投げる遊びである)の場所がるというので、ちょっと覗いてみる
10mぐらい先に、かわらけ投げの輪っかが設置されていた。


12.56分 山門の前から、鷲峰山の山頂を向かう。
山門からちょっと上ると、本堂弥勒堂、多宝塔などが建てられている
説明板には、

「金胎寺は、山岳霊場の拠点として七世紀の終わりごろ役行者が開いたと伝えられ、
養老六年(722年)大澄大師によって再建中興されました。その後、伏見天皇が退位後この寺で出家し、多宝塔を建立しました。
江戸時代にも修験者の行場として盛んであったらしく、大和の大峰山に対して、「北大峰」と称されたと伝えられています
と書かれている。
  
13.05分 境内よりさらにのぼって、鷲峰山の山頂に着く。山頂には、宝篋印塔(重要文化財)が建てられている
 


山頂からの眺望である。琵琶湖、比叡山方面である。







13.15分 山頂で記念写真を撮って、釈迦岳に向かう。

13.47分 釈迦岳に到着。山頂には「一等三角点 鷲峰山」がある。その側に「京都府無線中継所」が建てられている。
  
13.49分 山頂で記念写真を撮って、下山開始。
 
15.10分 「茶宗明(ちゃそうみょう)神社」に到着。
茶宗明神社(ちゃそうみょうじんしゃ)は、宗円を昭和29年大神宮社に合祀したもので、茶祖の功績をたたえる全国の茶業者の崇敬を集めているという。
境内に、「永谷武蔵氏顕彰碑」が建てられている。碑誌には、
「湯屋谷は、江戸時代(1738年)「青製煎茶法」を創案し、日本の煎茶史上に不朽の功績を残した茶宗明神永谷宗圓翁出生のちである、
その後裔に当たる永谷武蔵氏は高祖の啓示により永谷園を創業茶にゆかりの「お茶漬けのり」を着意、その製法を新案し、商品化に成功した」

云々と書かれている。

神社の側に、「青製煎茶製法」を開発・普及させたといわれる永谷宗円や代々の永谷家が暮らした屋敷の跡に、焙炉跡を保存するために建設された家屋がある。
お茶の花とが咲いている。実もなっている。私にとっては、お茶の花を初めて見たので、珍しく思う。

   
15.36分 バスの駐車場に到着。
これで今日の山歩きも無事終了である。お疲れさ〜ん!




                ― おわり ―